ボスニア・ヘルツェゴビナ戦

今日の日本代表の対戦相手はオシムの故郷、ボスニア・ヘルツェゴビナ
1992年旧ユーゴスラビアクロアチアセルビアスロベニアボスニア・ヘルツェゴビナに分かれた。
その過程である1995年までのボスニア紛争では多くの血が流された悲劇の舞台。
オシムの言葉』を読んで以来、この国を思うと映画『セイヴィア』の場面が浮かんでくる・・・
2001年には大分にキリンカップユーゴスラビアとして来てくれたが、
その時は、ピクシーことドラガン・ストイコビッチのために再結成?してくれた、彼のユーゴ代表最後の試合だった。
東欧のブラジルと表されるユーゴ時代は美しいサッカーの印象だったけど、分裂後は初めてみる。
どんなサッカーをしてくるのだろう・・・
外務省のHPで各国情勢を眺めながら、九州の1.6倍ほどの面積にわずか400万人しかいない彼の国を思った。
今回も大分県内では放送予定が無く愛媛の南海放送を見ることに・・・
余談ですが先日、フジと日テレを主に放送している地元の某(T○S)局の関係者と話をする機会がありそのことを告げるが、クロス局の放送契約は曜日時間ともに事前に決定しており、視聴率の取れる代表戦といえどそれを覆すことは困難。
という答えが返ってきて納得せざるを得なかった・・・が、最近多すぎ!
ボスニア戦、ドイツなのにサポーターの数がすごい。
きっとドイツでの出稼ぎ組みなんだろな・・・と、外務省のデータ(失業率47%!)を思いだした。
試合は、序盤パスミスが多かったが徐々に押し込み始め久しぶりにこうゲームの予感。
久保は厳しいマークに裏を取りきれずオフサイドの連発。
しかし高原が切れてるな〜と思ってみていたら久しぶりにヘッドで決めてくれて前半1-0。
後半は逆にボスニアのフィジカルについていけずに2失点。
しかし、サントスの軽い守備はどうにかならんのか・・・
ボランチの1枚はもっと走り回るタイプじゃなきゃ・・・
ボスニアでただ一人知ってたバルバレス、決定機を入れきれないところはハンブルガーSVで承知だったけど、やっぱ強いわ。
あと彼らの玉際の強さ、後半の強さ、さすがオシムの国でした。
2-1とリードされてのロスタイムに俊輔からヒデのヘッドで同点には拍手しましたが、
クロアチア戦までとっとけ!とも思ってしまいましたw



追記
書いててあやふやだったので調べたら、
91年のユーゴ解体後、02年の日韓までユーゴとして出てたのはセルビアモンテネグロでした。
ボスニアの選手は入ってなかったです、失礼しました。